
京都で新撰組の刀傷を見られる名所を紹介しています!
京都の新撰組ゆかりの地をリストアップしたGoogleMapもプレゼントしていますので、観光の計画にお役立てください!
この記事はこんな方におすすめ!
- 新撰組に興味がある!
- ガイドでしか公開していない、芹澤鴨暗殺時に付けられた刀傷を見学したい
- 新撰組よく利用していた揚屋(料亭・お酒の場)「角屋」にある刀傷を観たい!(期間限定)

ちなみに、新撰組の世界観を味わってから観光をしたい!という方は、浅田次郎の以下小説がおすすめです。
とくに、『輪違屋糸里』は、糸里の視点から新選組隊士の人間的な一面や葛藤が描かれています。
単なる歴史上の人物ではなく「生きた人間」としての姿が感じられます。
京都の新選組ゆかりの地マップを一つ一つの場所を紹介する前に、このブログで紹介している名所をまとめたGoogleマップをプレゼントいたします!
場所がすべて掲載されているので、現在地から目的地まで迷わずアクセスできます。
スマホで地図を保存しておけば、ひとり旅でも安心して巡ることができます。
※この記事で紹介していない、京都の新選組ゆかりの地も掲載しています。

\【京都】新選組ゆかりの場所マップリストはこちらをクリック/
※保存に個人情報などの入力は一切ございません。
また、こちらからはどなたが閲覧・保存したのか確認できません。
京都観光を楽しんでいただきたいという想いで作成しております。ご安心ください。
名所についての解説一言入れているので、新選組とどんなかかわりがある場所かも分かるようになっていますよ。
京都で新撰組の刀傷がみられる場所は、以下の3か所です。
京都駅スタートでしたらこの順に巡るとスムーズでしょう。
新選組最初の屯所(宿舎)です。
近藤勇が芹澤鴨を粛清した際の刀傷があります。
となりの壬生寺や、前川邸も一緒に見学をすることをおすすめします。
新選組がよく訪れた揚屋(料亭のような場)です。
その際につけたといわれる刀傷が複数あります。
擬宝珠(欄干の金具)に刀傷があり、「池田屋事件に関わる追撃戦の際に生じた」と伝承されています。
それぞれ詳しく見ていきましょう!

八木邸は、新撰組の最初の屯所(宿舎)で、新撰組の黎明期を支えた場所でもあります。
また、芹澤鴨が近藤勇らによって暗殺された場所でもあるのです。
その当時の刀傷が残っています(刀傷やこの門の先の見学は、ツアー参加が必要です)。
1863年、新選組の結成初期に起こった、新撰組の内部抗争です。
新撰組幹部・芹澤鴨(せりざわ かも)が、同じく新撰組の幹部の立場にある近藤勇らによって暗殺されました。
芹沢は、乱暴な言動や酒癖の悪さで隊の評判を下げていたためです。
その舞台となったのが、当時屯所として使われていたこの八木邸の奥座敷でした。
その日、近藤勇や芹澤らは、京都・島原の「角屋」で宴席を楽しんだあと、夜になって八木邸へ戻ってきました。
その後、近藤勇や沖田総司らが、寝ている芹澤を襲撃。
激しい斬り合いが繰り広げられ、芹澤は命を落とします。
刀傷は八木邸のどこにある?

刀傷があるのは、以下画像の⑦の位置です。以下のように表示がありました。

※「刀傷にはお手を触れないでください」との記載
この刀傷は、芹沢鴨が暗殺されたときにできたものとガイドの方から説明がありました。
当時、芹澤鴨らは⑥の「奥の間」で寝ており、近藤勇らの襲撃を察知して逃げようと、⑦の廊下を渡って④の部屋駆け込もうとしたそうです。
その際に切り付けられたときに、鴨居((ふすまの上にある横木)に刀傷ができたと伝わっています。
一説には、芹沢は襲撃を察知して逃げようとした際、部屋の入口手前にあった文机につまずいて転倒し、それが命取りとなったのだとか。その文机も残っていました。
この逸話の真偽は定かではありませんが、当時の空気を感じさせる空間は今も残されています。

実際に私も、ガイド付きの見学を体験してきました。
案内の方の語り口はとてもわかりやすく、臨場感たっぷり。
刀傷などの実物を前に、歴史が“その場で起きていたこと”として感じられました。
「本当にここでそんなことが…」と、思わずヒヤッとする瞬間もありました。
ただし、人気の観光地なので混雑時は待ち時間が長くなることもあります。
ひとりでも予約できるので、事前に予約をしてておくのがおすすめです。
予約はじゃらんで受け付けているようですので、詳しくは以下のリンクをご確認ください。
新選組駐屯所 八木亭見学の予約ページ【公式】じゃらん-遊び・体験予約-
▲じゃらんの予約詳細ページに遷移します
周辺には、新撰組の鍛錬の場「壬生寺」や、八木邸と同じく屯所であった「前川邸」など、新選組を感じられる名所が多数あります。
詳しくは以下をご覧ください。
■八木邸
住所: 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24
アクセス: 阪急「大宮駅」または京福「四条大宮駅」より徒歩約10分/市バス「壬生寺道」下車 徒歩1分
営業時間: 9:00〜17:00(最終受付16:00、ガイド時刻により変動)
公式HP: http://www.mibu-yagike.jp/
公式SNS: なし(2025年8月時点)

続いての刀傷は、幕末期に京都唯一の正式な遊郭として栄えた場所、島原エリアにあります。
とくに、「角屋」は高級揚屋として栄えました。
※揚屋:今でいう料亭。芸妓さんの踊りや歌を楽しみながら、料理やお酒を味わえる場所
現在は「角屋もてなしの文化美術館」として公開されてます。
新選組の芹澤鴨や近藤勇らも角屋に通い、宴席を開いた記録が残されています。
いわば、新撰組の憩いの場だったと言えるでしょう。
また、通常入店する際は刀を預けて帯刀することはできませんが、新選組は市中警護という任務の立場上、帯刀したまま入店していたようです。
中でも芹澤鴨が酔った勢いで部屋を荒らしたという逸話が伝わっており、現在も角屋の前庭の柱や内部にはその痕跡とされる刀傷が残されています。
※これらの刀傷が実際に芹澤鴨によるものかということは断定できませんが、「新選組刀傷の角屋」という石柱が立っていることから新選組がつけたものであることは確かなようです。
刀傷は角屋のどこにある?

まずは、玄関に向かって右手の建物の柱に刀傷があります。
切り合いがあったわけではありませんが、新選組は見回りの名目で刀を預けずに角屋をうろついており、脅しや酔った勢いだったといわれています。
また、2階にも刀傷が残っています(2階の見学は予約必須・撮影禁止)。
青貝の間は、新選組の隊士・芹澤鴨らが利用したと伝えられる部屋の一つでもあります。
伝承によれば、芹澤が酔った勢いで部屋を荒らした際に、壁や柱に刀を突き立てたとされる傷が、今でもこの部屋に3か所残っているそうです。
これらの刀傷は、「角屋もてなしの文化美術館」の入場で見ることができます。
文化財保護の観点から、以下のように美術館の案内時間や時期などが設定されています。
「角屋もてなしの文化美術館」詳細
区分 | 内容 |
---|---|
開館期間 | 春期(3/15〜7/18)、秋期(9/15〜12/15)のみ公開 |
1階見学 | ガイド付き6回/日、予約不要、20名程度/回 10:30~、11:30、12:40~、13:30~、14:30、15:30~(いずれも30分程度) |
2階特別公開 | 予約必須、1日4回、各回15名まで、小学生以下不可 |
料金 | 1階:大人1,000円・中高生800円・小学生500円 / 2階:大人800円・中高生600円(別料金) |

角屋もてなしの文化美術館は、春期と秋期のみの開館で、年間を通していつでも入れる場所ではありません。タイミングが合えばぜひ行ってみてください!
また、2階の刀傷を見るには予約必須です。
見学したい方は、ホームページをご確認ください。
■角屋(すみや)
住所: 京都府京都市下京区西新屋敷中之町117(島原内)
アクセス: JR「丹波口」駅から徒歩約6分、または嵐電「西院」駅徒歩約10分
営業時間:10:00~15:30(季節休館あり、詳細は公式)
公式HP:https://sumiyaho.sakura.ne.jp/
公式SNS: なし(2025年8月時点)

鴨川にかかる三条大橋も、新撰組の刀傷があることで有名です。
この刀傷は、すぐ近くで起きた「池田屋事件」の後、逃走する尊攘志士を斬りかかった際のものと伝えられています。
長州藩など尊攘派志士が密談している現場を、新撰組が突き止め、討伐した事件です。
※尊攘派は、討幕運動の中心勢力。新撰組は幕府側の警備組織。
1864年6月に、現在の三条大橋付近で発生しました。
新撰組が尊攘派の討幕への動きを未然に防いだとして、幕府や会津藩に評価されています。
この功績がきっかけで、新撰組は一躍有名になり、多数の隊士が入隊することになりました。
池田屋は現存しておらず、跡地は居酒屋となっており、店頭には石碑も立っています。

刀傷は三条大橋のどこにある?

橋の擬宝珠(橋の欄干についている飾り金具)に、刀による傷と思われる痕跡が確認されています。
詳しい場所は以下です。

地下鉄東西線「三条駅」の6番出口から出て、ローソン側に歩くと刀傷のある擬宝珠を確認することができます。
ちなみに、この刀傷の原因と言われている池田屋事件が起こったのは、以下の赤い〇部分です。
襲撃後、多くの尊攘志士が池田屋から逃げ出しましたが、水色の→に沿って逃げ出したものがいたのでしょう。
そこで三条大橋付近で新選組と乱戦したと伝わります。

実際に、若一 光司の書籍『大阪・関西の「謎と不思議」を歩く』では、以下のように語られています。
その現場に、霊山歴史館の学芸課長で、京都府剣道連盟理事でもある木村幸比古さんにも立ち会ってもらったところ、池田屋騒動での戦闘が三条大橋にまで流れこんだ確率が極めて高いことや、それが複数組であっても決しておかしくないことなどがわかった。
そして、居合道八段の木村さんによる模擬刀での検証で、八相の構えから振り下ろされた刀の切っ先が、位置的にも角度的にも、擬宝珠の傷と見事に一致することが確認できた。
「刀が擬宝珠に当たって止まってしまったのでは、こんな傷にはならない。敵を斬ろうと振り下ろした刀の切っ先が、斜めに擬宝珠をかすめたんでしょうね」と木村さん。
事実は確認しようがないものの、“抜刀が御法度の公儀橋”(三条大橋)では他の抗争も考えにくいことから、池田屋騒動の際の刀傷である可能性は十分にあるように思える。
確証はないものの、池田屋事件の際にできた刀傷という可能性は十分にあることがわかります。
現場でぜひ歴史を感じてみてくださいね。
■三条大橋
住所: 〒604-8004 京都府京都市中京区若松町
アクセス: 地下鉄東西線「三条」駅から徒歩約5分
営業時間:–
HP:三条大橋 – 京都市
公式SNS: なし(2025年8月時点)

この記事では、京都で新撰組の刀傷が残る以下の3つの名所を紹介しました。
新選組最初の屯所(宿舎)です。
近藤勇が芹澤鴨を粛清した際の刀傷があります。
となりの壬生寺や、前川邸も一緒に見学をすることをおすすめします。
新選組がよく訪れた揚屋(料亭のような場)です。
その際につけたといわれる刀傷が複数あります。
欄干の金具に刀傷があり、「池田屋事件に関わる追撃戦の際に生じた」と伝承されています。
刀傷は、当時この街で新撰組が実際に生きていたことを感じられる、特別な史跡です。
ガイドを活用したり、街歩きを楽しんだりしながら、ぜひ新撰組の歴史にふれてみてくださいね。
心に残る旅になりますように。
新撰組の名所をまとめたGoogleマップもぜひご活用ください!
場所がすべて掲載されているので、現在地から目的地まで迷わずアクセスできます。
スマホで地図を保存しておけば、ひとり旅でも安心して巡ることができます。
※この記事で紹介していない、京都の新選組ゆかりの地も掲載しています。

\【京都】新選組ゆかりの場所マップリストはこちらをクリック/
※保存に個人情報などの入力は一切ございません。
また、こちらからはどなたが閲覧・保存したのか確認できません。
京都観光を楽しんでいただきたいという想いで作成しております。ご安心ください。
名所についての解説一言入れているので、新選組とどんなかかわりがある場所かも分かるようになっていますよ。
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